こども発達支援教室アクア blog

神奈川県伊勢原市にある児童発達支援・放課後等デイサービス こども発達支援教室アクアのブログ

視覚優位だから視覚支援だけで良い?

発達障害のこども達の中には視覚優位と言われる子たちが比較的に多いです。


こういった子たちは耳から入る情報、特に言葉に対しての反応が鈍いので、日常生活や集団生活をスムーズにこなすにはスケジュール表や写真、イラストといった視覚的なヒントが欠かせません。

では、どうして視覚優位なのでしょうか?

 

実は人間というのは、生まれた当初は基本的に他の動物と同じで視覚優位なのです。それが2歳くらいまでに聴覚優位に変化して言葉(音声言語)の世界を意識するようになります。

つまり、大きくなっても視覚優位な子たちというのは、この切り替えが上手く出来なかった、あるいは一度は切り替わったけれど、言葉の世界に上手く入れず、再び視覚優位の世界に戻ってしまった子たちなのです。

私たちの社会は言葉(音声言語)が前提で出来上がっている世界です。対人関係は絶えず言葉のやり取りをすることで維持されています。

音声言語以外でも聴覚障害者が使う手話(サイン)がありますが、あくまで特定のコミュニティ内でしか通じないローカルなものです。

言葉(音声言語)が分からない、もしくは音声言語に対する反応が鈍い子どもは、その分、社会参加を制限されることになります。

視覚優位の子どもでも常に合理的配慮を受けられれば良いのですが、社会では必ずしも配慮が得られる訳ではありません。以前、マクドナルドは自閉症の従業員向けに視覚的な手がかりなどの配慮をしていましたが、企業界全体を見たときにどのくらいの企業がそこまでしてくれるでしょうか?

マクドナルドでさえ全ての店舗で配慮がなされているとは思えません。

それでも発達障害児・者が学生の間は、保護者や本人が合理的配慮の必要性を学校に対してきちんと主張することで必要な支援が得られる可能性がありますが、クラスメイトとの人間関係でこれを要求して叶えられるかどうかは集団の性質次第、つまりは運次第です。

そう考えると、(聴覚や発声機能といった身体機能的な限界が無いことが前提ですが)本人にとって苦手なことをやらされてしんどいとしても、出来るだけ音声言語で理解し、表現する訓練をした方がこどもの選択肢を広げることに繋がるのではないでしょうか。

ただし、10歳を過ぎると本人の意思が強くなり、訓練を拒否する場合があるので、出来れば低学年、本音を言えば就学前から臨床経験のある専門家による本格的な訓練を開始することが望ましいです。

10歳過ぎでは手遅れかと言われれば、必ずしもそうとは言えませんが、家族が自分たちの生活を子どもの訓練中心に変える覚悟が必要になる上に、訓練をやりたくない子どもとの関係を悪くする可能性もあるので、子どもと自分たちにとって最良の目標が何かをよくよく検討して、他の選択肢についても考えた方が良いでしょう。

フラッシュカードの正しい使い方

 某幼児教室の代名詞ともいえる学習法のフラッシュカード。
 子どもの目の前で単語やイラストの書かれたカードを次々と高速で大量に提示し続けて、右脳で覚えさせるという学習法です。この学習法はフォロワーも沢山いて、発達障害のある児童向けに行なっている施設もあります。
 これを実際に指導していた人に話を聞くと、確かに短期間に大量の知識を覚えてくれるらしいです。

 

 しかし、某幼児教室の関係者が書いたものを除いて、その有効性を確かめる真っ当な研究論文は見当たりません。ふと興味を抱いて探してみましたが、少なくとも日本には無い。そもそも研究対象として取り上げられていないのです。

 

 海外の文献は英語力の問題もあって直接確認は出来ませんでしたが、同じように調べた人の記事を読んだ限りでは存在しないとのことです。逆に、その危険性を証明した論文が2つだけあったとか。
 ちなみに、「ホンマでっか!? TV」で有名な脳科学者の澤口先生の著作にも同じようなことが書かれており、フラッシュカードが人為的に発達障害に似た状態を作り出している!とまで主張していました。

 

 どうやら、長時間テレビを見せられ続けている状態と一緒で、一方的に大量の情報を流し込まれることで、子どもが総じて受け身になってしまい、能動的に外界を知ろう、覚えよう、といった興味や意欲を減退させ、一種のコミュケーション障害のような状態にさせてしまうのだと考えられます。

 

 上記の内容は間接的に見聞きした情報による推論であり、私自身が直接に確認した訳ではありませんが、有効性が立証されておらず、むしろ危険性が指摘されているというだけでも、実際に子どもに対して行うのは控えるべきではないでしょうか。

 

 道具としてのフラッシュカードに類するものは私たちの教室でもよく使います。しかし、次々に大量のカードを提示するやり方ではなく、覚えるように指示した上で一瞬だけ表面を見せ、1~3秒で裏返し、覚えた内容を口頭や書面で再現してもらうといった方法です。あくまで能動的に記憶するために使用しているのです。

 この方法は子どもに覚えようという意欲が無いと難しいのですが、学習に役立つ記憶法というのは、結局は能動的に鍛えることしかないのかもしれません。

発達障害の分野における専門家 2

 発達障害の分野に限っても、臨床心理士が実際に取り扱える領域は更に細分化されているのが実情です。

 言語障害や言語療法のエビデンスを知らないまま、言葉の発達を促そうと手探りで介入していたり、言語発達の指導にABAという畑違いの技法を無理やり当てはめようとする人たちさえいます。ABA自体は理論的に確立された技法ですが、適用範囲は限られており、何にでも使おうとするのはきわめて乱暴です。

 

 また、乳幼児健診やそこでピックアップされたグレーゾーンの子たちが通う市町村主催の発達教室には臨床心理士以外に保健師や保育士がいますが、いずれにせよ発達の経過を縦断的に見てきた経験が少ない場合が多いです。その為、「とりあえず様子を見ましょう」としか言えなかったり、家庭での関わり方についてのアドバイスも一般的な子育て論の範囲でしか言えないことはよくあります。

 

 小学校のスクールカウンセラーであれば中学に進学後の様子が分からない。中学校のスクールカウンセラーなら高校進学や就労支援の制度や成人後の生活といったイメージを具体的に持てない。

 

 児童精神科のクリニックに勤めている臨床心理士であるにも関わらず、服薬が子どもの生活に与える影響のプラスとマイナスを把握できていないこともありました。学校や家庭での様子を知るのに保護者からの聞き取り情報だけに頼り、実際の生活場面を見た経験がほとんど無いからです。

 

 発達の経過や環境について具体的に知らず、目の前の状態だけから判断してアドバイスしている専門家は決して珍しいものではないのです。

 

 だから専門家は信用ならない、という結論を述べたい訳ではありません。どんな専門家であっても発達障害に対してワンストップで対応できる人や団体はまず存在しないということです。

 あちこちの専門家を渡り歩くドクターショッピングの弊害は色々なところで言われることですが、これぞと思う専門家に出会えたとしても、その限界については認識した上で必要な知恵や力を借りるという付き合い方がベターだと思うのです(ベストは存在しません)。

 

 とはいえ、何が必要なのかを正しく判断するにはそれなりの知識が無いと出来ないので、保護者は自分たちでも色々と調べて、自分の考えや価値観にフィットした耳に心地よい情報だけでなく、聞きたくない情報や腹の立つ情報も含めて学ぶことが求められます。ただでさえ余裕が無いのにと思われるでしょうが、現在の福祉制度はそうした当事者(・保護者)の主体性を前提に設計されているのです。

 

 日本社会で猛威を振るっている自己責任論っぽくて、個人的には疑問を感じるところもありますが、そのような現実を踏まえた上で、自分はどうしていきたいのか、子どもにとって本当に必要なことは何か、何を犠牲にしなくてはいけないのか、何を犠牲にしたくないのか、それらを取捨選択していかなくてはならないのです。

発達障害の分野における専門家 1

 発達障害を持った子どもや保護者と関わることが多い専門家として、保健師、保育士、臨床心理士(国家資格の公認心理士もありますが、まだ世間の認知度が低いので、この記事では臨床心理士に統一します)などがあります。他に言語聴覚士もいますが、絶対数が少ないので関ったことが無い方もいるでしょう。

 

 市町村の乳幼児検診と発達相談に始まり、就学委員会やスクールカウンセラー、教育センターでの相談、児童相談所の手帳判定や病院の検査などでもお世話になることがあるので、お子さんに発達上の心配がある場合は上記の専門家たちに馴染みがあるのではないでしょうか。児童発達支援や放課後等デイサービスの事業所でも常勤の保育士はいますし、臨床心理士を非常勤で配置するケースもあるようです。

 

 色々な場面で関わる機会の多い専門家たちですが、1人1人にスポットを当てると、その守備範囲は意外と狭いことに驚かれると思います。

 例えば、臨床心理士などは同じ資格なのかと思うくらいに守備範囲が異なります。カウンセリング技術に精通し、メンタルの問題についての経験は豊かだけれど、発達障害は教科書に書かれている範囲しか知らない臨床心理士は珍しくありません。その他に労働者のメンタルヘルスに特化している人や心理検査しかやらない人、非行少年の相談に特化している人もいます。

 

 どうして守備範囲が狭くなってしまうのかといえば、今や臨床心理士の職域や技法は非常に多岐に渡っていて、1人でカバーできる範囲をとっくに超えてしまっており、仕事としての安定性を考えれば、ある特定の分野に絞って、なるべく他の領域に手を出さない方が良いからです。

 また、スクールカウンセラーなどはカウンセリング技術や経験よりもソーシャルワーカー的な(政治的ともいう)動きが出来ることの方が重要で、適正のある人は限られてしまうので、これぞという人であれば学校側がなかなか手離したがりません。

 

 これは臨床心理士に限った話ではなく、言語聴覚士でも高齢者を対象にする人と児童を対象にする人は明確に分かれますし、発達障害や福祉制度のことをよく知らない小児科医や心療内科医、精神科医もいます。発達障害に関わる、あらゆる専門分野が細分化され、自分の領域以外のことは分からなくなっているのです。

 

 それぞれの専門性が狭くなっている状況に加えて、ほとんど経験の無い、守備範囲外の分野に参入して来たばかりの自称専門家たちが、どの業界にも必ず一定数は存在しているという問題もあります。

 無論、新しい分野にチャレンジして自分をアップデートしていこうという勉強熱心な専門家であれば、知識や経験を縦に横にと繋げていけるので良いですが、これまでの自分の知識や経験の及ぶ範囲でしか仕事をしない専門家もいたりして、こういう人は相談する側からは見分けがつかないので非常に厄介です。

 

2につづく

不注意や多動の対処法 2

 学校の勉強や日常生活、対人関係について、私たちは日々の経験を通して様々なことを学んでいます。何かで失敗すると同じ思いは二度としたくないので、次からは判断や行動を変えようとします。

 

 しかし、多動や不注意の問題を抱えた発達障害の子たちにはこれが非常に困難です。注意があちこちに飛んでしまうので、自分がどうして出来なかったのか、あの時に失敗したのは何故なのかを振り返ることが難しく、同じ失敗を繰り返してしまうのです。学校の授業も聞いていないことが多く、当然のことながら勉強が遅れるケースも少なくありません。

 

 最も重要なことは、多動や不注意の問題を抱えた発達障害の子どもたちが学習できずに足踏みしている間に、同学年の子たちは同じ環境内の経験から多くのことを学び取って成長し、学習面だけでなくコミュケーションや社会性も複雑化させていくことです。
 相対的に、多動や不注意の問題を抱えた子たちは集団の中で取り残されてしまいます。そして、自信の喪失から不登校になったり、学習への意欲を失ったり、将来的には鬱病になるなどの精神的な不安定さに繋がることもあります。

 

 10歳前後になると身体的な成長に伴って、目立ったAD/HD的な特徴が見られなくなるケースもありますが、不注意傾向は残ることが多いですし、それまでに苦手なことを回避する傾向が身についてしまっていたり、上記のような容易に埋められない差がついてしまっていることが問題なのです。

 

 服薬については、そのリスクとメリットを比較して決めるというのはよく言われることですが、社会の中で育っている真っ最中の子どもたちについては、「服薬しないことによる学ぶ機会の喪失」という視点についても十分に意識した上で、よくよく検討して頂ければと思います。

不注意や多動の対処法 1

 結論から言うと、いわゆる訓練での改善が難しいのが不注意や多動の問題(AD/HD)です。もし、服薬せずともナントカ療法や運動・整体・サプリメント等によってAD/HDは治るという療育関係者がいたら、ちょっと眉唾ものと疑った方が良いと個人的には考えています。

 

 3歳前後で落ち着きの無い子の場合は、5歳くらいまでに自然と落ち着いて座っていられるようになるケースと、落ち着かないままのケースに分かれます。それまではAD/HDなのかどうかを客観的に判断する方法は現在のところありません。もしもAD/HDだった場合、そのままでの療育訓練の実施は難しいものになります(理由は後ほど述べます)。

 

 私たちは、仮にAD/HDの診断が出ていなくても、5歳を過ぎて多動や不注意の問題が大きいと感じたお子さんには受診と服薬を勧めているのですが、特に服薬については複雑な思いを抱かれる保護者が多いですし、そうした葛藤は十分に理解できるものです。保護者の中には子どもが少しでも楽になるならと服薬を試してみても良いのではないかと思っていたのに、学校の先生に副作用が心配だからと反対されたというケースもありました。

 

 それでも受診と服薬を勧めているのは、子どもの社会生活という文脈から見た場合に、多動や不注意の問題は子ども自身から様々な学びの機会を奪い続けるという、発達や学習にとってあまりに強烈な影響力を持っているからです。

 

2につづく

ごまかすしかない子供たち 2

 では、根本の原因である漢字の読みや、文字の視覚認知、言葉の意味理解が改善されれば、こうした発達障害のある子どものたちの「ごにょごにょ」等の音読の癖も自然と解消されるのかと言われれば、理屈としてはその通りなのですが、実際に指導するとなると、そう簡単なことではありません。

 

 まず、パターンとして身に付けてしまった「ごまかし癖」を直さないと、その壁に邪魔されて根本的な原因を取り扱うことが出来ないからです。

 

 短い文章からで良いので、きちんと発声して正確に読むことを心掛ける。そして、分からない場合もごまかさない。その場しのぎでごまかすよりも、少しずつで良いから正しい知識を身に付けた方が良いのだと子ども本人に理解してもらう。それらが出来るようになって初めて発達障害そのものの問題に取り組めるようになるのです。

 

 障害そのものは治せませんが、ごまかしのパターンが消失すれば正しく対応して状況を改善することは可能です。

 

 ごまかしのパターンを直すのは非常に根気のいる作業ですから、腕の立つセラピストの元で相当に厳しい指導を受けるのでない限り、週に1~2回の通常の指導だけではとても足りません。保護者や学校の理解と日常的な協力が不可欠になるのです。