ごまかすしかない子どもたち 1
発達障害のある児童が「あやふや」な理解のまま先へ先へと進んでしまうことで、問題が先送りされて後々大きくなってしまうのは算数だけでなく、国語の場合でもしばしば起こります。特に顕著なのが音読です。
全く読めない訳ではない。けれども読んでいる最中に時々、「ごにょごにょ」と急に聞き取り難くなったり、文章が微妙に違う言い回しになる子たちがいます。
こうした子たち達に対して、周囲が「これはこの子の特性だから」とあまり問題視していなかったり、口うるさく注意して音読自体を嫌がるといけないからと、読み方を直さないままでいることがあります。知的な遅れや自閉症、発達障害がある場合に、教える側がそれらを障害のせいにして、それ以上原因を考えなくなってしまうのです。
しかし、この「ごにょごにょ」や「微妙に異なる言い回し」が特定の場面でのみ見られるのであれば、それは障害特性そのものではなく、単に分からないことをごまかす為の手段になっている可能性がとても高いです。実は漢字が読めなかったり、ちゃんと文章を見て認識していなかったり、あるいは単語の意味自体を知らないのかもしれません。
分かっていることが前提の状況で、自分だけが分かっていないのかもしれないという事態は、発達障害の有無に関わらず子どもの自尊心をひどく傷つけます。分からないまま読まなければいけない事態を日常的に経験し続けてきた結果、身に付けたのが、「ごにょごにょ」や「微妙に異なる言い回し」によってその場をやり過ごす手段(=ごまかし)なのかもしれないのです。
2につづく
宿題はつらいよ
発達障害の子たちが、学習の基礎をあやふやなまま先送りにしてしまう問題は、学校の長期休みの宿題にも見られます。
放課後等デイサービスで宿題をすることは原則的には認められていませんが、夏休みの宿題を自宅では決してやろうとしないという保護者の悩みを聞いて、短時間のお手伝い程度であればということで宿題を見せてもらうことがあります。
しかし、実際に学校から出された宿題を見せてもらうと愕然とすることになります。「がんばれば自力で半分くらいは出来る…かも?」といったレベルの問題が大量に出されているからです。保護者もなんとか期限までに宿題を終わらせようと必死です。
これは宿題が前学期に習った内容を単に繰り返すことが目的化していて、しっかりと根本から理解させることや、その理解を定着させることを目的とした内容になっていないからではないでしょうか。
定型発達の児童にとってはさほど問題にならないかもしれませんが、周囲と同じペースで勉強しても基礎を習得できなかった発達障害の児童にとって、「出来るようになった!」という機会を得られない、無意味で苦しい作業となることを意味しています。
このことは、障害児教育に理解のある教頭先生とお話しした際にも、もう少し現場の先生が柔軟になってくれたらと対応に苦慮しておいででした。おそらく伊勢原市に限らず全国的な傾向なのでしょう。
学校の長期休みは、遅れがちな発達障害の子たちの勉強の遅れを取り戻せるかもしれない貴重な時間です。それを単に量をこなすことで浪費してしまうのはもったいないことだと思いませんか?
もっと言えば、優先順位の付け方を間違っているとも言えます。
この時期に必要なのは基礎理解の「あやふや」を徹底的に無くすこと。そして、心の底から「出来るようになった!」という実感を数多く経験させて、前学期で自信喪失した発達障害の子たちに自信を持たせることなのです。
取り扱い注意! プリント学習 2
その日によって出来たり出来なかったりする発達障害の子どもたちの、計算の途中経過を細かく見て行くと、1ケタの足し算・引き算や10の合成と分解、そして九九の理解があやふやな場合が多いです。筆算の手順が毎回微妙に違っていたり、独特なやり方をしていることもあります。
この「あやふや」というのがポイントで、毎回間違えたり、まるで分かっていない訳ではないのです。かといって勘違いのケアレスミスとも違います。指摘されて「あっ!」と自分の間違いに気づいたりはしないのです。
例えば、ある時は5+0=5、5×0=0と出来ていたのが、ある時は5+0=0、5×0=5と間違えたりするのですが、その時に「ここ、おかしいよね」と指摘されたら、とりあえず言われた通りに直すだけ。
元々、足し算・引き算や九九の理解が完璧になっていないのです。だから、指を使って計算していたとしても間違えてしまう。
学年が上がって、より複雑な問題に取り組めるようになっても、結局はこの部分が引っかかってしまい、ある時は出来たことが別の日には出来ないといった状況を生み出します。つまり、学習の積み重ねによる知識の定着が出来ていないのです。
前回述べたように、その子はやがて算数が嫌いになるか、授業中にぼーっとしてやり過ごす癖が身に付き、気づいた時には学校の勉強についていけない上に、具体的にどこから手をつけて良いのか分からないといった状況に陥ってしまいます。そうなってから家庭や学校だけで立て直しを図るのは相当に厳しいのではないでしょうか。
算数プリントで仮に70%くらいの正解率だとしても、半分以上できてるから大丈夫とは限りません。単純な計算こそ、ほぼ100%確実に出来ていなければ、いずれ必ずつまずきます。そして、公○や○研の教室のように次々とプリントをやらせていく学習スタイルの恐いところは、発達障害の児童のつまずきの本質に周囲が気づかないまま先送りにしてしまう可能性が高いという点なのです。
ちなみに、私たちも市販されている公〇や〇研のドリルは使います。オリジナル教材を売りにしている放課後等デイサービスもありますが、大手の学習塾が作っている教材と違って内容に乏しいというのが印象です。それらを使うくらいなら市販の教材の方がはるかによく出来ています。プリントをはじめとした教材はあくまで道具なので、どう使うかが重要なのです。
取り扱い注意! プリント学習 1
私たちは伊勢原市にある児童発達支援・放課後等デイサービスであり、勉強だけを教える塾ではないのですが、最近は学校の勉強の遅れについてのお悩みが増えていることから、言語聴覚士のアドバイスなども取り入れて、より発達障害の特性に合わせた国語や算数の指導にも力を入れるようになりました。
算数は、発達障害のあるお子さんの学習を指導していて、保護者と認識のギャップが大きく出やすいと感じることの多い分野の1つです。
「筆算は分かっていると思う」「学校や塾では出来ている」と聞いていたお子さんに実際に問題を出すと、正解率が50%を割ってしまうことも珍しくありません。
しかも、同じレベルの問題でも、日によって出来たり出来なかったりするのです。ある時は9割正解することができたのに、2~3日後に同じ問題で4割しか出来なかったということが起こるのです。全く出来ないのであればともかく、出来る時もあるのだから理解できているのではないかと保護者が考えるのも無理はありません。
その結果、「(多分)分かっていると思う」といった印象が作られてしまうのではないでしょうか。
公○や○研の教室のように、各自にプリントを渡して、記入し終えたら先生の元に持っていって採点してもらい、間違っていたらその場で正しいやり方を教わって、すぐ次のプリントに取り組む形式でのプリント学習は、発達障害の子どもにとって理解のあやふやさを残したまま先へ先へと進んでしまう危険性をはらんでいます。
気づいた時には学習が行き詰まり、教える側もどこから手をつけて良いのか分からないといった状態に陥ってしまいます。更に、大抵の子ども達はその頃には学習に対する強い拒絶感や、ぼーっとしてその場をやり過ごすといった心理的に学習に取り組むのが困難な状態(二次障害)になっており、本来持っているはずの力も発揮できなくなっているのです。
2につづく